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ライブラリ > 晋書地理志 > 晋書巻十四 志第四 地理上 寧州

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■本文拙訳 ■本注拙訳 ■拙注
寧州。漢と魏においては益州の領域であった。泰始七年(271年)、西晋の武帝は益州の土地が広いことを理由に、益州の建寧郡、興古郡、雲南郡と、交州の永昌郡を分け、合せて四郡を寧州とした。寧州は四十五県、八万三千戸を統治した。
雲南郡 蜀が置いた。九県、九千二百戸を統治した。
雲平 雲南 梇棟 青蛉 姑復 邪龍 楪榆 遂久 永寧
興古郡 蜀が置いた。十一県、六千二百戸を統治した。
律高 句町 宛溫 漏臥 毋掇[四五] 賁古 滕休 鐔封[四六] 漢興 進乘 都篖
建寧郡 蜀が置いた。十七県、二万九千戸を統治した。
味 昆澤 存 新定 談稾 母單 同瀨 漏江 牧麻 穀昌 連然 秦臧 雙柏 俞元 修雲 泠丘 滇池
永昌郡 漢が置いた。八県、三万八千戸を統治した。
不韋 永壽 比蘇 雍鄉 南涪 巂唐 哀牢 博南
太康三年(282年)、西晋の武帝は寧州を廃して益州に組み入れ、南夷校尉を立てて元寧州領を護った[5]。太安二年(303年)、西晋の恵帝はまた寧州を置き[6]、建寧郡の西側の七県を分けて別に立てて益州郡とした。永嘉二年(308年)、益州郡を改めて晋寧郡とし、牂柯郡を分けて平夷郡と夜郎郡の二郡を立てた[四七][7]
ところがこの時、その地は再び李特の領有となった。その後、李寿は寧州の興古郡、永昌郡、雲南郡、朱提郡、越巂郡、河陽郡の六郡をを分けて漢州とした。咸康四年(338年)、牂柯郡、夜郎郡、朱提郡、越巂郡の四郡を分けて安州を置いた。八年(342年)、またもや安州を廃して寧州に併合し、越巂郡を益州に返還して所属させ、永昌郡を省いた。
[四五] 毋掇
『漢書地理志』では「掇」の字を「棳」としており、顔師古はその字は木版に従っていると言う。『水經溫水注』では「毋棳」とある。
[四六] 鐔封
「鐔」の字について、各本では「鐸」とある。『宋本』及び『史記音義』では「鐔」とあり、ここでは『宋本』に従う。『漢書地理志』の上、『後漢書郡国志』の五、『宋書州郡志』の四、『華陽国志』の四、『水經溫水注』から調整した。
[四七] 永嘉二年 ~ 夜郎二郡
王遜伝に「元帝は王遜に安南將軍を加官したが、これは刺史に相当する。王遜は『牂牁郡を分けて平夷郡を置き、建寧郡を分けて夜郎郡を置き、益州郡を改め晋寧郡とする』ことを上表し、勅令を請け、これらをすべて施行した。」とあり、本志と異なる。
訳者注[5]
南夷校尉が護った範囲は、元寧州領のことを指し、寧州が返還された後の益州全体のことを指すものではないだろう。

「太康三年,武帝又廢寧州入益州,立南夷校尉以護之。」

「南夷校尉を立て、以って之を護る」の「之」は何を指しているのだろうか。考えられるのは、「益州へ返還した元寧州領に限定した益州領」と「益州へ返還した元寧州領を含めた益州領全体」のどちらか一方で、この文脈からではどちらとも判断がつかない。
訳者注[6]
『李特戴記』によると、「太安元年(302年)に李特は、益州牧・都督梁益二州諸軍事・大将軍・大都督を自称し、年号を改めて建初とした」とある。李特はこのとき、漢(成漢)を建国したが、翌年に晋の益州刺史羅尚に敗れて戦死した。子孫がその後を継いで347年まで成漢は存続する。ところが本文では、太安二年(303年)に晋の恵帝が郡の統廃合を行っている。『晋書』には晋を正統王朝とするたてまえがあるため、晋が実質的にその地を支配していなくても郡の統廃合を行ったあたりに、異民族国家である成漢の政策施行を認めない意図が伺える。永嘉二年(308年)の懐帝の統廃合も同じことが言える。
訳者注[7]
西晋による寧州の廃立をまとめると以下のようになる。
泰始七年(271年)武帝が寧州を設置。(益州の一部を分離した)
太康三年(282年)武帝が寧州を廃止。(益州へ返還した)
太安二年(303年)恵帝が寧州を設置。(益州の一部を分離した)
寧州は、益州最南部の領有政策の一環として廃立されたと言えそうだ。


< 原文 > 『晋書』中華書局 1974年11月刊行 ISBN 7101003087
寧州。於漢魏爲益州之域。泰始七年,武帝以益州地廣,分益州之建寧、興古、雲南,交州之永昌,合四郡爲寧州,統縣四十五,戶八萬三千。
雲南郡 蜀置。統縣九,戶九千二百。
雲平 雲南 梇棟 青蛉 姑復 邪龍 楪榆 遂久 永寧
興古郡 蜀置。統縣十一,戶六千二百。
律高 句町 宛溫 漏臥 毋掇[四五] 賁古 滕休 鐔封[四六] 漢興 進乘 都篖
建寧郡 蜀置。統縣十七,戶二萬九千。
味 昆澤 存 新定 談稾 母單 同瀨 漏江 牧麻 穀昌 連然 秦臧 雙柏 俞元 修雲 泠丘 滇池
永昌郡 漢置。統縣八,戶三萬八千。
不韋 永壽 比蘇 雍鄉 南涪 巂唐 哀牢 博南
太康三年,武帝又廢寧州入益州,立南夷校尉以護之。太安二年,惠帝復置寧州,又分建寧以西七縣別立爲益州郡。永嘉二年,改益州郡曰晉寧,分牂柯立平夷、夜郎二郡[四七]。然是時其地再爲李特所有。其後李壽分寧州興古、永昌、雲南、朱提、越巂、河陽六郡爲漢州。咸康四年,分牂柯、夜郎、朱提、越巂四郡置安州。八年,又罷并寧州,以越巂還屬益州,省永昌郡焉。
[四五] 毋掇
漢志上「掇」作「棳」,師古曰其字從木。水經溫水注亦作「毋棳」。
[四六] 鐔封
「鐔」,各本作「鐸」。宋本及音義作「鐔」,今從宋本。與漢志上、續漢志五、宋志四、華陽國志四、水經溫水注合。
[四七] 永嘉二年至夜郎二郡
王遜傳:「元帝加遜安南將軍,刺史如故。遜表請改分牂牁爲平夷郡,分建寧爲夜郎郡,改益州爲晉寧郡,事皆施行。」與此志不同。

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