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三国志王朝データベース
三国志は、後漢末期の混乱から始まり、魏 呉 蜀の三国鼎立時代を迎え、晋による中国全土統一までの歴史です。 王朝一覧
後漢

221年〜263年 蜀( しょく )皇帝2代
人気ランキング 1位

525点

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蜀王朝フォーラム
漢朝復興を大義名分とする劉備の国
劉備が建国した王朝。「蜀」と呼ばれるが、実際は国号を「漢」と称していた。 曹操存命中は形なりとも漢朝は存在していたが、曹丕が禅譲を受けると、 劉備は復興と称して帝位に就いた。 陳寿の三国志では、三国それぞれの書を「魏書」「蜀書」「呉書」とされている。 陳寿が三国志を著した時期がまさに三国時代の終焉を迎えようとする時期であったことから、 劉備の建国した国は、当時においても「蜀」と呼ばれていたのだろう。 それも、他国、とりわけ後漢から禅譲を受けた正統王朝を称する魏とそれを継いだ晋から見て、 「漢」という国号は容認できなかったに違いない。後世、我々は劉備の建国した「漢」を 便宜上「蜀漢」あるいは「蜀」と呼ぶ。

220年〜265年 魏( ぎ )皇帝5代
人気ランキング 2位

429点

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魏王朝フォーラム
後漢から禅譲を受けて華北を治める魏
後漢末期の混乱を鎮め、華北に一定の秩序をもたらした曹操。彼は一生涯後漢の臣として仕えたが、実質的な政権は既に曹氏のものであった。次の曹丕の時代になると、後漢から禅譲を受け、後漢はここに滅亡し、新たに魏を興した。魏は後漢から正式にその役割を受け継いだわけであるが、これに対抗するように蜀の地に蜀が興り、続けて江東の地に呉が興った。こうして三人の皇帝が存在する史上初の分裂時代、いわゆる三国時代を迎えることとなった。しかし曹氏も三代目を過ぎると、重臣司馬氏に政権を握られるようになり、わずか45年で滅んでしまった。

229年〜280年 呉( ご )皇帝4代
人気ランキング 3位

254点

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呉王朝フォーラム
江東の孫氏政権
後漢末期の混乱の最中、地方豪族の孫堅は、周辺の非道な太守を討伐し名を挙げた。志半ばにして死を迎えたが、次の孫策が江東の地を平定し、政権基盤を築いた。弟の孫権が政権を引き継いで呉を建国し、魏・蜀とともに三国時代を迎えた。孫呉とも呼ばれる。孫権の死後、皇帝権力が衰え家臣による政治の専横が相次いだが、最後は暴君孫晧による恐怖政治が興り、皇帝権力は強大となった。呉は政治の腐敗により水面下で内部崩壊が進み、蜀を併合した晋によって滅ぼされた。呉の滅亡は三国時代の終焉を現すこととなった。

025年〜220年 後漢( ごかん )皇帝12代
人気ランキング 4位

152点

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後漢王朝フォーラム
政治腐敗による権威失墜が長い乱世を創出
戦国時代に終止符を打ち中国全土を統一した秦もわずか30年足らずで滅び、200年余り続いた漢の時代となったが、外戚王莽によって簒奪され、新が建国された。その新も30年で滅び、劉秀が漢を再興した。この王朝は後漢と呼ばれ、約200年続く。対して新より前を前漢と呼ぶ。後漢の宮廷は外戚と宦官による政権争いが続き、末期には売官が盛んに行われ、士大夫は禁固され、極度な政治腐敗によって民衆は苦しんだ。民衆の苦しみは黄巾党の乱へと繋り、それが一時的に平定されたものの混乱は治まらず、次第に中央の指揮統制が地方に及ばなくなり、各地に群雄たちが割拠する様相となった。そうしたなかで力をつけた曹氏・孫氏・劉氏の三勢力による鼎立状態ができあがると、曹氏は後漢から禅譲を受け、魏を建国し、後漢は滅んだ。その後、劉氏が漢を再興したが、後世、蜀漢あるいは蜀と呼ばれ、正統な王朝として認められなかった。秦漢帝国と呼ばれる長い安定期が終わると、隋唐帝国と呼ばれる次の安定期まで、約400年もの間、乱世を創出する。三国志は長い乱世の序章となる。

197年〜199年 仲( ちゅう )皇帝1代
人気ランキング 5位

140点

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仲王朝フォーラム
袁術が皇帝を僭称して建てた短命王朝
反董卓連合軍が自然消滅すると、中原は名門袁家によって二分された。北の袁紹と南の袁術である。彼らは後漢王朝の権威失墜を機に天下取りの野望を抱いた。しかし彼らの思うほど、まだ後漢王朝の威光は地に落ちていなかった。群雄が各地に割拠する中、袁術は九江の地において皇帝を僭称し、文武百官を置いて豫州一帯を勢力下においた。それが「仲」という王朝である。しかし、群雄たちの激しい勢力争いの中では、袁術の建てた短命王朝は広く名を知られることなく滅びていった。

265年〜316年 晋( しん )皇帝4代
人気ランキング 6位

132点

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晋王朝フォーラム
半世紀で衰退した司馬懿の政権基盤
魏の明帝曹叡亡き後、司馬懿が築いた勢力基盤は、後に晋王朝を樹立し中国全土を統一するという発展を遂げる。司馬懿、司馬師、司馬昭は魏の権力の中枢に身をおき、次の司馬炎のとき禅譲を受けて晋を建国した。彼が晋の武帝である。武帝は政治改革を積極的に行い、旧来の法を改め、貴族文化を発展させた。武帝の死後、各地に王として封じた一族らによる八王の乱によって国は乱れ、混乱に乗じて周辺の異民族が中国国内で蜂起し、306年には蜀の地に巴族の大成が建国され、308年には并州の地に匈奴族の漢が建国された。316年になると晋は首都洛陽を匈奴の漢に奪われ滅亡した。

237年〜238年 燕( えん )皇帝1代
人気ランキング 7位

124点

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燕王朝フォーラム
遼東に独立勢力を誇った公孫氏政権
238年司馬懿が遼東の公孫淵を滅ぼしたことは有名であるが、その公孫淵は先祖が築き上げた支配勢力を基盤として遼東の地に王朝を建てた。これが「燕」である。189年に公孫度が遼東郡太守として着任した頃から、その支配勢力は三代約五十年に渡って続いた。遼東郡は激しい戦乱が続く中原から一歩離れたところに位置していたこともあり、また高句麗や烏丸の討伐を行うなど対外的にも威勢を行き渡らせ、群雄割拠の時代から半世紀も生き延びることができた。魏王朝としても、この独立勢力に対して官位や恩賞を与えて懐柔政策をとっていたが、公孫淵が皇帝を僭称すると、反乱者として討伐の対象となったのである。


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