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殷礼徳嗣
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殷礼徳嗣  ] の詳細 検索結果へ戻る
人物ID 人物名称 特記事項
0038
殷礼   徳嗣
  







いん
れい
とくし
徳嗣
   
本籍地 生年月日 没年月日 性別

ごぐん
呉郡

きょくあけん
曲阿県

?

?

一族
殷基 (子)
殷巨 元大(孫)
殷祐 慶元(孫)




呉の文官。若くして微賤な身分から身を興した殷礼は深い見識があり、徳で知られる顧邵に抜擢され友人として遇された。特に占術にすぐれていたが、占術の達人として高名な張達に礼を尽くして学ぼうとしたが、許されなかった。19歳で呉県の丞の職務を代行し、孫権が呉王になると召されて郎中に任命された。張温に従って蜀に使者として赴いたとき、諸葛亮から人物を絶賛された。しかし蜀から戻ると復職できず、尚書戸曹郎に就いた。後に零陵太守となった。241年夏4月孫権は淮南攻略を実行した。この計画については、他にも零陵太守の殷礼の計画があったが採用されなかった。その殷礼の計画とはこういうものであった。魏は幼い皇帝が統治しており、蜀に隴西を攻めさせ、諸葛瑾と朱然は襄陽、陸遜と朱桓は寿春、陛下は淮水を超えて青州徐州を攻めるのがよろしいでしょう。多方面から攻められれば、魏は瓦解し民衆は呉に内応し魏の統制が失われるでしょう。殷礼の没年は伝わっていないが零陵太守在官のまま死去した。



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登場箇所
6-149,6-373~374,7-236,7-239~240,8-77.

本籍地
6-373.

生没年
生年 記述なし
没年 記述なし



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