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三国志地図 −地理入門編−
并州   へいしゅう
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并州は、中原の西側に位置する山間地にあり、冀州から分離された中国の北の国境として、古来より北方民族の侵害に悩まされ、その歴史を刻んできた。

後漢の献帝の時代、政治を牛耳った董卓が長安へ遷都すると、華北の実権は次第に袁紹へと移っていった。袁紹の甥、高幹が并州刺史に就任したことで、并州は事実上袁紹の支配下に入り、いよいよ群雄割拠の様相を呈した。

并州の郡県史
前漢の武帝が全国に十三州を置いたとき、上常郡、太原郡、雲中郡、上郡、雁門郡、代郡、定襄郡、五原郡、西河郡、朔方郡の十郡を并州とした。このとき并州刺史のほかに朔方刺史も置かれたが、後漢の建武十一年(035)に朔方刺史は廃止された。

献帝の建安十八年(213)、并州を廃止して冀州に組み入れた。建安二十年(215)、雲中郡、定襄郡、五原郡、朔方郡を廃止し、各郡のそれぞれ一県をあわせ、その四県を新興郡とした。その後、上常郡を分割して楽平郡を立てた。魏の黄初元年、再び冀州を分割して并州を設置した。


并州の出身人物
現在すべての人物の出身地データが揃っていないため、0件の場合があります。
また、同じ都市でありながら改称前と改称後の両方をリストしている場合があります。
今後、郡国データを整理し、詳細ページを作成する予定です。

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