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三国志地図 −地理入門編−
益州   えきしゅう
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益州は、険しい山々に囲まれた天然の要害であり、また、土壌は豊かで多くの産物があり、古来から独立勢力を生みやすい土地柄として、その歴史を刻んできた。

三国時代の益州には、劉備・劉禅親子が治める蜀の国が築かれた。蜀の丞相、諸葛亮(孔明)は、南蛮地域の安定を図って首領孟獲を心服させ、魏を打倒すべく北伐を行い、蜀のために献身的な活躍をみせた。彼の死後、蜀は次第に衰え、魏を引き継いだ晋によって滅ぼされてしまった。

益州の郡県史
益州は、東周の戦国時代に秦の恵王が先住民の蜀を滅ぼし、そこに郡を置いた頃から、中国による実質的な統治が始まった。秦の始皇帝の代になって中国全土に三十六郡を置いたが、蜀郡の名はそのまま使われた。漢代の初期には、漢中郡、巴郡、蜀郡の3つがあり、高祖六年(紀元前201)、蜀郡を分けて広漢郡を置き、四郡となった。その後、武帝は西南夷をきり開いて、為郡、柯郡、越郡、益州郡の四郡を置き、あわせて八郡を益州として統治することとなった。

後漢の明帝の代になると永昌郡を図版に組み入れ、安帝の代には蜀郡、広漢郡、為郡の三郡に諸道を置き、それぞれ属国都尉を置いた。霊帝の代になって山郡が置かれ、劉焉による統治が始まると、郡県の設置は蜀の劉備・劉禅の代まで相次いで行われた。


益州の出身人物
現在すべての人物の出身地データが揃っていないため、0件の場合があります。
また、同じ都市でありながら改称前と改称後の両方をリストしている場合があります。
今後、郡国データを整理し、詳細ページを作成する予定です。

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